なぜ研究データは「あるのに使えない」のか

なぜ研究データは「あるのに使えない」のか

同じ実験の話をしているはずなのに、生成AIに何度も一から説明し直している。そんな噛み合わなさに、心当たりはないだろうか。

この記事では、生成AIを研究に使い始めた頃に感じていた「噛み合わなさ」の正体と、それがWiki化によってどう変わったかを紹介します。

  • 生成AIをコード補助として使うだけでは解決しない、2つの地味な手間
  • 「保存」と「AIが再利用できる形で残す」は、何が違うのか
  • 記録の仕方を変えたことで、想定していなかった範囲にまで及んだ効果
目次

セッションが変わるたびに、文脈がゼロに戻る

生成AIを研究に使い始めたとき、最初にやったのはプログラミングの補助だった。分析コードを書いてもらう、エラーを直してもらう。それだけでも十分に便利だった。

けれど、使い続けるうちに、ある種の噛み合わなさに何度もぶつかるようになった。前回どんな実験をして、どんな結果が出て、なぜその方針をやめたのか。こうした文脈を、生成AIは新しいセッションが始まるたびにきれいに忘れている。こちらが伝えなければ、AIにはそれを知りようがないのだから、当然といえば当然だ。

問題は、この「当然」を毎回自分で埋め合わせる側に回っていたことにある。意図しない実装が出てくる。的外れな提案をされる。以前に検討して却下したはずの方針を、また提案されることもある。プログラミング補助として使っているだけでは、こうしたズレがどうしても頻発する。

たとえば、あるパラメータの組み合わせを一度試して結果が不安定だったため却下した、という判断があったとする。その経緯を伝えていないセッションでは、生成AIは何食わぬ顔で同じ組み合わせを再提案してくる。悪いのはAIではない。却下した理由をどこにも書き残していない、こちら側の記録の仕方にある。

それでも「記録している」つもりではあった

誤解されやすいが、記録を怠っていたわけではない。実験ノートは付けていたし、Excelにも結果を残していた。問題は、その記録が人間が後から読み返す前提でしか作られていなかったことにある。

見出しも文脈も付けず、数値と一言のメモだけを羅列したノートは、書いた本人がしばらく経ってから読み返しても意味が取りづらい。まして生成AIに渡しても、何の実験のどの段階の記録なのか、どういう意図で条件を振ったのかが伝わらない。「記録はしている」と「AIが使える形で記録している」は、似ているようでまったく別の到達点だった。

積み重なると馬鹿にならない、2つの手間

具体的に何が面倒だったのか、2つ挙げたい。

解析結果を見ながらノートに書き留める研究者。散逸しがちな図やメモをその都度手元で管理していた頃の様子

可視化の手間:シミュレーション結果を可視化しながら試行錯誤するたび、可視化スクリプトを一から書き直していた。同じようなグラフでも、パラメータや見せ方を変えるたびに書き直しが発生する。
成果物の散逸:作った図や分析プログラムが、いつの間にかどこかに行ってしまう。ファイル名も付け方もその場しのぎになりがちで、後から探す自分に優しくない状態がずっと続いていた。

どちらも、一つひとつは小さな手間だ。だが「あのとき作ったあのグラフ、どこだっけ」と探す時間は、思っている以上に積み重なる。地味だが、研究時間の少なくない割合をこの種の再構築作業が占めていた。

転換点は、「保存」から「AIが使える形で残す」への切り替え

この状況が変わったきっかけは、Wiki化だった。ノウハウや過去の実験結果をすべてWiki上で管理し、生成AIがそれを簡単に引き出せる状態を作る。これによって、前提知識や過去の実験結果を把握した状態の生成AIが、常に存在するようになった。

単に情報をどこかに保存しておくのとは違う。ポイントは、AI自身がその情報を読み、文脈として使える形で残しておくことにある。同じ質問に何度も答え直すのではなく、一度整理した情報を、AIがそのつど参照できる状態にしておく。このシンプルな切り替えが、最初に感じていた噛み合わなさをかなりの部分で抑え込んだ。

「保存」と「AIが使える形で残す」の違い:ファイルに書き出すだけの保存と、見出し・文脈・意味づけを添えてAIが参照できる状態にする記録の対比

効果は、想定より広い範囲に及んだ

Wiki化がもたらした効果は、作業速度の向上だけにとどまらなかった。自分自身が忘れがちな情報を、素早く引き出せるようになったことも大きい。

あたま

知識を自分の外部に溜め込んで、必要なときに取り出せるようにしておく。それだけで「覚えておかなければ」というプレッシャーから解放されました。記憶という認知資源を研究そのものから切り離せた感覚に近いです。

これは研究室特有の悩みではない。研究という営みが本質的に属人化しやすいことは、姉妹記事「研究はなぜ属人化するのか」でも整理した。個人の記憶に依存した記録は、その人がいなくなった瞬間だけでなく、半年後の自分自身が読み返せなくなるという形でも失われていく。

まとめ

生成AIをコード補助として使うだけでは、セッションをまたぐたびに文脈が消え、可視化と成果物探しの手間は残り続ける。この手間を解消したのは、より高性能なツールではなく、情報を「AIが後で使える形」で残すという記録の仕方の切り替えだった。

次回は、この「解析・保存・検索」のループを実際にどう回しているか、具体的な場面に沿って見ていく。

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この記事を書いた人

本業で生成AIの活用法を研究し、実装・社内への導入推進を担当。属人化しがちなノウハウをどう言語化し、チームの資産にするかに関心があります。このラボでは、ナレッジ・生成AIツール・実践ワークフロー・データサイエンスの4領域で検証したことを記録しています。姉妹サイト「なないろ日和」では育児や暮らしについても書いています。

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